仁科芳雄博士生誕日記念科学講演会

第29回 仁科芳雄博士生誕日記念科学講演会

  • 令和5年12月8日(金)
  • 里庄総合文化ホール フロイデ電動中ホール
伊藤 憲二先生

講師 : 伊藤 憲二(いとう けんじ)先生京都大学大学院文学研究科准教授

演題:里庄と仁科芳雄 故郷の環境はどのように未来の原子物理学者を創ったか

講演概要

 仁科芳雄は「環境は人を創り 人は環境を創る」という言葉を残しました。それでは彼が生まれ育った里庄・浜中の環境はどのように仁科自身を創ったのでしょうか。仁科芳雄はヨーロッパに長く滞在した後、主に東京で原子物理学者として活躍しました。その仕事は彼の出身地である里庄とは遠い場所でなされたものであり、ほとんど何の関係も無いように見えます。ところが里庄と仁科家の歴史を踏まえて仁科芳雄の科学上の活動を検討すると、両者の間には様々な次元でのつながりがあることが見えてきます。この講演では、いかに里庄の環境が仁科という物理学者を形作ったのか、とくに「人は環境を創る」という言葉がまさに里庄という土地では深く納得のできるものであったということをお話します。そしてそれが日本の科学に対して仁科芳雄が果たした役割と深い関係にあったことをご紹介したいと思います。

講演の様子

 地元の中学生および一般聴講者約340名を前にご講演いただきました。

 講師の伊藤憲二先生は今年の7月に仁科博士の伝記「励起 仁科芳雄と日本の現代物理学」を出版された直後で、非常にタイムリーな講演となりました。

 講演の冒頭で、仁科博士が晩年に残した言葉「環境は人を創り 人は環境を創る」を取り上げ、里庄という環境がどのように仁科博士を創ったのかというテーマを提示されました。

 仁科博士は現代物理学で国際的な業績を挙げた初期の日本人物理学者の一人で、有名な業績は、クライン・仁科の公式、サイクロトロンの建設、ラジオアイソトープなどがあります。ですが、仁科博士はこれらの業績よりもはるかに重要な仕事を成し遂げた人物であり、それは次の世代の人たちが研究するための土台を作った事であると、伊藤先生は話しました。研究の土台作りには、研究装置の開発・設置だけではなく、自由に議論ができる活発な研究グループの運営や国内外の研究グループとの交流も含まれます。

 仁科博士がこのような仕事をした背景には、生まれ育った里庄の浜中が大きく関わったという伊藤先生の説に話が展開します。かつての浜中はすぐそばに海がある文字通りの浜で、江戸時代から干拓が繰り返された場所でした。仁科博士の祖父・存本も浜中の近くにある寄島の干拓を手がけ、浜中の庄屋だった仁科家は存本が作った寄島の塩田も経営していました。つまり、人によって環境が創られ豊かになっていった場所であり、祖父もその事業に携わっていました。

 仁科博士はこのような環境で生まれ育った結果、人を育てる環境を意識して創る役割を果たす科学者となったという話で講演が締めくくられました。

 浜中の干拓や存本が手掛けた寄島の干拓の名残がある数多くの写真もあり、伊藤先生の入念な調査がうかがえる講演でした。

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