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故仁科芳雄博士は、1890年(明治23)12月6日、岡山県浅口郡里庄町大字浜中の地に生まれ、東京帝国大学を首席で卒業して理化学研究所に入り、研究員補としてヨーロッパに留学すること7年余、量子力学誕生の渦の中に身をおいて、自らも世界的業績をあげられました。帰国後の博士の活動は、研究者としての実績を積まれたばかりでなく、リーダシップを発揮されて我が国の物理学並びに科学技術の水準を世界的レベルに引き上げられ、その功績には多大なものがあります また、敗戦後の日本の最も困難な時期に、日本科学界の国際社会への復帰を牽引するとともに、理化学研究所所長として、また改組後の株式会社科学研究所社長として、科学技術の再建こそ我が国復興の基礎であるというという信念を持って、自ら難事に立ち向かわれる中、病を得て61年の生涯を閉じられました。 里庄町では、博士が、「環境は人をつくり人は環境をつくる」と述べておられることに鑑み、1982年(昭和57)に博士の生家を解体修復公開し、博士ゆかりの品々の展示をはじめとして、在りし日の博士を偲ぶ場を確保するとともに仁科芳雄顕彰基金を設けて、児童生徒の表彰や国内派遣の実施といった人づくりの環境形成に努めて参りました。 今後とも、行政改革によって誕生した隣接市はじめ関係諸機関の皆さまのご理解を得て、次代を担う青少年の健全育成と科学する心の涵養を図るべく、顕彰事業の継承発展に務める所存でございます。 科学振興仁科財団理事長(岡山県浅口郡里庄町長) 大内恒章 |
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